50代になっても変わらないイケメン・イケボ爆発のスーパースター福山雅治さん。
この記事では福山雅治さんの実家のご家族について詳しく調べました!
ましゃのお父さんは反社だった?とか、実家が観光名所になっちゃっている?などと噂されている福山家の真相はいかに!?
ぜひ最後まで読んでいってくださいね。
福山雅治の実家の家族
福山雅治さんは長崎県長崎市出身で、実家の家族構成は父親・母親・兄・福山雅治さんの4人家族とのこと。
福山雅治さんは末っ子だったんですね。
福山雅治さんは、生れてから幼少期から学生時代、そして高校卒業後就職して半年で退職し状況するまでの間はずっと長崎で生活をしていたそうです。
では、おひとりずつ紹介していきますね。
福山雅治の父親:福山明(あきら)さん
福山雅治さんのお父さんは、福山明(アキラ)さんです。
明さんは昭和7年(1932年)生まれで、9歳の頃には太平洋戦争が勃発、そして13歳の頃には原爆の被害にも遭っています。
生まれは長崎市の市街地でしたが、空襲により建物の延焼を防ぐためにあらかじめ建物を壊して防火地帯を作る、いわゆる建物疎開が行われ、明さんの生家も取り壊されました。
そして稲佐山の麓に引っ越してきました。
原爆が投下された際に、明さんの家族は長崎市の稲佐山にいましたが全員無事でした。
稲佐山の丘陵地帯が爆風の壁になったことが生還できたのではないかとも言われているようです。
福山さんはNHKの『ファミリーヒストリー』に出演したことがあり、その際に両親について語っていた記録が残っています。
その際に紹介された福山明さんの写真がこちらです↓
明さんは、福山さんが高校2年生の頃に亡くなっており、死因は肺がんだったそうです。
明さんは幼少の頃に長崎に落とされた原爆により被爆し、被爆者健康手帳所持者でしたが、被爆が原因で肺がんを患ったかどうかの因果関係は不明でした。
福山さんによると、第二次世界大戦下の厳しい時代を生き抜いた明さんでしたが、ほとんど仕事はせずに雀荘に入り浸っていた為、福山家の家計はとても苦しかったそうです。
明さんは、明さんの父から継いだふくまる不動産という不動産会社を経営しており、住まいを自宅兼事務所として使っていましたが、お客さんが来ることはほぼ無く開店休業状態だったとのこと。
福山さんは番組で、自宅に仕事の電話がかかってきた時には、「社長は不在です」とだけ伝えるように言いつけられていたというエピソードも語っていました。
そんな明さんが肺がんのためこの世を去った際の葬儀に参列した明さんの知人は麻雀仲間ばかりで、中には小指が無い人もいたそうです。
福山さんは、仕事をしないで麻雀ばかりやっている父親のことはあまりよく思っていなかったそうで、葬儀の際に小指の無い麻雀仲間たちが泣きながら父親の棺桶に泣麻雀牌を並べているところを複雑な気持ちで眺めていたそうです。
このエピソードが紹介されたことで、福山さんの父親である明さんには小指の無いヤクザ者だったという誤解が伝わり、福山雅治の父親は反社だったというデマがちょっぴり流れたことがあるようですね。
全く持ってデマ情報です。
福山さん自身も、あまり柄の良くない友人が多かったお父さんの事はあまり良い印象は持っていなかったようですが、ただこの葬儀の光景について、また別の機会では、以下のように語っていたこともあります。
「葬式の日に、父の麻雀仲間のなかでも、いかついタイプの人が麻雀の牌を持ってきた。泣きながら棺桶に役満の九連宝燈を並べながら『アキラさん、この役満だけはアガれんやったね』と、さめざめと泣いてくれたんです。それを見て、ろくでなしだと思っていたけど、父親の人生はいい人生だったんだなって。良い友達がいる良い人生だったんだなって」
引用元:Yahoo!ニュース 自分の精神を救済できるのは自分しかいない――福山雅治が振り返る30年、そして原体験としての「家族」
父親の人生はいい人生だったんだなと、父親についてポジティブな感情も抱いていたんですね。
福山さんにとって、学生時代はつらい思い出でしたが、その感情や『死生観』を書きとどめておく為、2020年のデビュー30周年記念アルバムのタイトルを、父の名前である『AKIRA』と命名してこの世に送り出しています。
また、福山さんの猫背は父親譲りだそうです笑)
「軽口をたたいたり、何でもすぐに冗談めかしたり。僕のお調子者なところは、父親に似たのだと思います。あとは猫背かなあ。昔、僕が初めてテレビドラマに出演したとき、母から連絡がきたんです。祝福してくれるのかと思いきや、『猫背はやめたほうがよか。父ちゃんにそっくり』と、ダメ出しの電話だったんです。腹が立ってすぐに電話を切りましたね(笑)」
引用元:女性自身 福山雅治 亡き父を語る「お調子者と猫背は父譲り」
福山雅治さんにとって父親との思い出はつらいことばかりだったような印象を受けますが、福山さんの心の支えになっている父とのエピソードもありました。
福山さんは、子供の頃に父親から「根性だけはある」と褒められたことがギター1本で上京して現在の成功を収めるまで頑張ってこられた原動力になったと語っています。
福山さんが子供の頃、父親からタバコを買ってくるように言われておつかいに出たところ、近くのタバコ屋には父が吸っている銘柄がなく、遠くにある別の店まで買いに行ったところ、帰りが遅くなり母親から叱られたそうです。
しかし、その時に父は「雅治は俺が頼んだ銘柄を買うために、諦めずに買いに行ったったい。こいつは根性だけはあるんだ」と褒めてくれたといいます。
ちなみに、福山雅治さんのあだ名である『ましゃ』は、福山さんが小学生のころに明さんが呼び始めたそうです。
父親が呼び始めたあだ名が、今では全国の福山雅治ファンが愛着を持って『ましゃ』と呼んでいる・・・。
なんだか、素敵。
福山雅治の母親:福山勝子(かつこ)さん
福山雅治さんの母親は、福山勝子(かつこ)さんと言います。
前述のNHK『ファミリーヒストリー』で紹介された勝子さんの若い頃の写真がこちら↓
この写真からわかるように、福山雅治さんはお母さん似ですね。
勝子さんの笑顔が、福山さんの笑顔にそっくりに見えるのは私だけではないはず。
勝子さんは昭和20年生まれで、2024年現在は79歳になられます。
勝子さんは長崎のみかん農家の娘で、長崎にある洋裁学校に通っていました。
稲佐山の麓に、叔母が営んでいる駄菓子屋があり、勝子さんもよく叔母を訪ねてその駄菓子屋に通っていたそうです。
そこに常連で通っていたのが後に結婚する明さんでした。
明さんが勝子さんに一目惚れして、猛アタックの末に交際スタートし、ほどなくして2人は結婚しました。
昭和42年(1967年)、明さん34歳、勝子さん21歳の時でした。
13歳差は、今でいうところの年の差婚ですよね。
結婚の翌年1968年に長男が、そしてその翌年1969年2月6日に次男の福山雅治が誕生しました。
前述した通り、夫の明さんは不動産会社を経営していましたが、ほとんど雀荘に入り浸っており、開店休業状態だったため、勝子さんがパートで働いた収入で福山家の家計を支えていたそうです・・・。
苦労しながら家計を支えていた勝子さんでしたが、1985年に明さんが肺がんを患い、入院すると更に大変になりました。
朝は高校生だった息子たちのために朝食を作り、日中は洋服を作る仕事をして、仕事が終わると夕食を作ってから入院している明さんの看病のために病院へ行く生活を長く送っていました。
そんな母の苦労を見ていた福山さんは、母親を安心させるために高校を卒業したらすぐに地元の企業に就職して家に仕送りをしていたそうです。
福山さんによると、勝子さんはとても過干渉気味で、福山さんが大きくなってからも帰りが遅かったり、家に彼女を連れてきたりすることに対して多分に口を挟んでくるので、福山さんも少々煙たく思っていたところもあったそうです。
親としては、就職して堅実に働いてほしかったようですが、その気持ちを反故にして上京した福山さんのことは、心配はすれども、上京に反対はしなかったそうです。
福山雅治さんは、2020年の母の日に、過去に勝子さんが息子2人のために作ったコートをインスタグラムで公開しました。
その時の投稿がこちら↓
インスタグラムのコメントには、洋服を作る仕事をしていた勝子さんの腕前に驚く声がたくさん上がっています。
一般の方であり、写真も公表されていない為、現在のお姿はわかりませんが、今でも長崎市に住んでいらっしゃるそうです。
福山雅治の兄:福山一明(かずあき)さん
福山雅治さんには、1つ上の兄がいます。
名前は、一明(かずあき)さんといいます。
テレビ番組で公開された写真がこちら↓
一明さんは、お父さんである明さんにそっくりですね。
一明さんの職業は自衛官だそうです。
一明さんは結婚されていて、福山雅治さんの甥っ子や姪っ子となるお子さんが3人(長男、長女、次男)いるそうです。
また、一明さんは学生時代からバンドを組んだりして音楽活動をしており、福山雅治さんは兄である一明さんの影響もあって、中学1年生の頃にギターを手に取り、音楽を始めたとのこと。
一時期、一明さんと福山雅治さんは同じバンドグループ『LAR』で活動し、THE MODS、ARBなどのコピーをしていました。
『LAR』では、福山さんがギターで、一明さんはドラムを担当していたそうです。
学生時代の写真を見ると、兄の一明さんも福山雅治さんに引けを取らないほどのイケメンに見えますが、福山さんによると一明さんは「所ジョージ」に似ているとのこと。
確かに、年齢を重ねていく中で父親である明さんとおなじく、面長のお顔になっていっているみたいですね。
福山雅治さんの1つ上である一明さんは2024年現在56歳になられているはずなので、階級によっては既に自衛官を退官されている可能性もありますね。
福山雅治の実家は観光名所!?
前述した通り、福山雅治の長崎の実家は長崎市曙町の稲佐山にあります。
というのも、稲佐山公園の山頂展望台から一望できる長崎の夜景は日本新三大夜景にも選ばれている人気スポットであり、JR長崎駅からタクシーに乗って稲佐山へ向かう人たちも多いのですが、そこでタクシー運転手がわざわざ福山雅治さんの実家の前を通って教えてくれることもあるとか・・・(^_^;)
長崎の稲佐山からの夜景はマジで綺麗。
— ⚓️dice_K🇫🇷 (@moz3903) November 11, 2017
そして稲佐山にタクシーで行くとかなりの確率でドライバーさんが福山雅治について話してくれてそのうち何割かは福山雅治の実家付近を通ってくれる。
さらにその先に行くと福山雅治の通っていた幼稚園まで行ってくれる例もある
稲佐山いく途中に福山雅治氏の実家、タクシーの運転手さんにここですよって教えてもらったw
— ねこまた (@dokudokuneko) July 17, 2022
このように、タクシーの運転手が福山雅治さんの実家を頼んでもないのに教えてくれることが常態化しているようで、観光スポットにもなっている様子。
福山さんの実家の前を通るだけではなく、自宅前で停まって写真を撮ることもあるようです↓
稲佐山に行く途中タクシーの運転手が、福山雅治の実家を案内してくれた(^-^; とりあえず、降りて撮影した(^-^)v pic.twitter.com/XLIIq4jy
— おにっち (@onitti01) March 5, 2012
タクシー運転手が勝手に福山雅治の実家として案内してしまうこともあり、今でも長崎に住まわれているお母さん(勝子さん)は、県内の別の場所で生活しているという噂もあるそうです。
ファンとしては、節度をもって迷惑にならないようにしたいものです。
まとめ
今回は、福山雅治さんの実家の家族について調べてまとめました。
福山雅治さんの実家の家族構成は以下の通り↓
福山家は4人家族
・父親:明(あきら)さん
・母親:勝子さん(かつこ)さん
・長男:一明(かずあき)さん
・次男:福山雅治さん
福山雅治さんのルーツである実家のご家族について調べてみると、少年時代から様々な苦悩や苦労をしてきて今があるというのが分かりました。
早くに亡くなってしまったお父さんも、福山さんの活躍を喜んでいると思いますし、そう願いたいですね。
参考にしたサイト等
・クランクイン:福山雅治、母手作り“35年前のロングコート”を公開「クオリティ高い」と驚きの声
・女性自身:福山雅治 亡き父を語る「お調子者と猫背は父譲り」
・NHK『ファミリーヒストリー』(2021年4月26日放送)