前編|空手の先達を巡る沖縄旅~武士松村に逢いに~

旅日記

目次

そうだ!沖縄に行っちゃおう!!

武術、武道好きには常識レベルではあるが、
空手の発祥の地は沖縄である。

空手には600年以上の歴史があると言われている。

現在世界に認識されている空手の祖は、
松村 宗棍(まつむら そうこん、 1809年 ~没年不明)である。

僕は空手を学んでいるので、
いつかは武士松村宗棍のお墓参りをしてみたいと思っていた。

「行ってみたい」と思ったらその想いが残り続ける。
想いが消えない。
後悔をしたくないという思いが徹底的に強いのだと思う。

僕は気持ちが爆発して、
急に行動を起こすことがあるが、
沖縄旅がまさにこの爆発で行動に起こした旅だった。

そしてコロナ禍になる以前ぼ2019年11月に、

松村宗棍のお墓参りのみを目的とした、
一泊二日の沖縄旅を敢行したのである。

この旅では、

  • 松村 宗棍 のお墓
  • 糸洲 安恒 のお墓
  • 東恩納 寛量/宮城 長順 の顕彰碑
  • 知花 朝信 の顕彰碑

を巡った。

ここまで堅苦しい文体で書きましたが、
単に個人的な趣味で空手の先達に想いを馳せながら、
ひとり旅を楽しんだ記録です☀

はじめましてOKINAWA!!

二千円札流通に地域間ギャップ!

福岡空港からピーチ航空の格安価格で、
那覇空港へ向かいました✈

LCCピーチ航空のセールやキャンペーン情報に、
アンテナを張っているとちょうど良いタイミングで、
ナイスなキャンペーンに出合うのもです👍

行ったのは平日ど真ん中なので、
往復で10,360円価格でチケットを買うことができました!

仕事が終わってから、
急いで帰宅してシャワーを浴びて、
着替えを済ませる。

そして、サイフと充電器だけを入れた小さなショルダーバッグを持って、
いざ沖縄へ!

初日のスケジュールは

夜に那覇到着

国際通り近くの民宿で一泊

するだけなので、
着替えすら持ちませんでした(‘◇’)ゞ

那覇空港に到着したら、
そのままモノレール(ゆいレールという)で美栄橋駅へ。

Googlemapを頼りに、
国際通りまで歩いて行ってみました。

国際通り ってよく聞くので、
一度は歩いておこうと(;^_^A

お土産や、買い物にあまり興味の無い僕にとっては、
ただのちょっと栄えた広めの道 程度にしか感じませんでした。

しかし、ミーハーの僕はその場所を歩いたという経験だけが手に入れば満足です(笑)

コンビニでお金をおろしたのですが、
九州、というか九州以西ではほぼ見なくなった幻の二千円札が普通に流通していたことに
びっくりでした!

まさか自分の財布に2枚も二千円札が入る日が来るとは・・・・
さすが沖縄の心、守礼門が印刷されている紙幣なだけある。

とっても安い旅館で一泊

一通り国際通りを歩いてみたあとに、
国際通りから少し路地に入った場所にある安い旅館に泊まった。

旅館の女将さん曰く、
海外の旅行者さんが多く利用する旅館とのこと。
当時2000円くらいの金額で一泊することができました💴

四畳半の部屋で煎餅布団に100円入れるテレビ(まだあるんだ・・・このタイプのテレビ)。

素泊まりするだけなので、
グレードはこの程度で全く問題なし!!

過去に泊まった大阪西成の部屋みたいなものです🌹

思い付きで咄嗟に旅に出てしまったので、
旅館に着くまでは目的が一つ、
松村宗棍武士のお墓に行くことのみしか考えていませんでした。

せっかく沖縄まで来たので、
空手の先達の記念碑等も調べて回ってみよう!
と考えて、スマホで調べながら翌日のルートを考えました。

ザ・無計画!

那覇歩き回り|午前中

守礼堂本社を見る

グレートなグレードの旅館を早朝6時頃にチェックアウト!

チェックアウトしたいのに玄関に誰もおらず、
鍵だけフロントに置いてセルフチェックアウトで出発しました。

せっかく沖縄に来たので、
いつも空手衣でお世話になっている老舗の守礼堂の本社を見ておこうと思い、
昨晩布団の中で思いついた守礼堂本社へ歩いて向かってみた。

ちょっと雲は残っていましたが、
天気は晴れ!!

11月ともなると福岡は肌寒くなる季節ですが、
さすが沖縄・・・早朝から少し歩いただけで汗をかくほど温かった☀

旅館を出てから10分程歩いて、
守礼堂沖縄本社に到着🥋

早朝なのでもちろん営業時間前。

僕の目的は『見る』だけなので、
これで目的達成👍

いつも空手衣を使わせて頂いています!
ありがとうございます☺

守礼堂沖縄本社
〒900-0012 沖縄県那覇市泊1丁目7−2 1F

那覇手の達人 東恩納 寛量/宮城 長順 の顕彰碑

守礼堂本店を見て、
またテクテクと20分程歩き続けて、
那覇手の達人お二方の功績を称えた顕彰碑がある松山公園に向かいました。
GoogleMapにもしっかりと顕彰碑の場所にピンが立っていました👍

〒900-0032 沖縄県那覇市松山1丁目17ー9

松山公園の奥の方(僕が入った方向から見ただけです(;^_^A)、
沢山の緑に囲まれた静かな空間に、
とても立派な石碑が立っていました!

先賢 東恩納 寛量
拳聖 宮城 長順

お二人の細かい説明は省きますが、
今、僕が稽古している三戦の型もこの那覇手の名手 東恩納寛量 の流れを汲んでいるのだとお聞きしました。

過去から脈々と受け継がれている、
”文化”としての空手を感じることができます!

結構大きな樹木があり、
思わず周りをぐるりと撮影してしまいました👀

石碑に一礼し、次の目的地へ!

人工ビーチ ”波の上ビーチ”

沖縄に来たのなら、
海を見ないなんてことは考えられない!

ということで、
人工ビーチではありますが、
松山公園からまたほんの10分程度歩いたところにある
波の上ビーチに行きました🌊

波の上ビーチの場所

職場の沖縄出身ちゅらさんから、
「那覇の海はそんなに奇麗じゃないよ」と聞いていたので、
あまり期待していませんでしたが、
バリ奇麗やん!

博多の海とは比べものにならないくらいに水がキレイ!

目の前に道路が通っていて、
見晴らしはあまりよろしくないですが、
キレイな海の水を楽しむのには十分な感じでした✨

波の上ビーチの浜辺からちょっと上ったところで、
優雅にくつろぐマヤー(沖縄の言葉で”猫”)さんと遭遇。

「気持ちよさそうだね、海の近くに住んでいてうらやましいね♪」と話しかけたけれども、
無視されました🐈

ビーチ近くの神社波上宮

マヤーに無視されながらもバイバイして、
波の上ビーチのすぐ横の崖の上にある神社、
波上宮でお参り⛩

恋愛成就のパワースポットでもあるらしい波上宮。

僕を良きパートナーと引き合わせておくれ!という我欲にまみれたお願いをして、
神社を後にしました。

波の上うみそら公園

波の上ビーチのすぐ横にある、
波の上うみそら公園にも少し寄ってみました。

砂浜ではなく、
ごつごつした岩で整備された海岸。

相変わらず海水は透明で美しい色💛

とっても心癒される風景・・・・

後ろを向くと、
すぐ上を通る国道58号那覇西道路の高架下。

ちょっと怖い(;^_^)

けれども、
眺めはなんだかとても気持ちいい~

こんな気持ちいいところでなら、
後腐れのない清々しい喧嘩ができそうですね(笑)

宮良そば那覇店で『骨汁』を食べる

沖縄旅行経験者の友人から教えてもらった、
『骨汁(ほねじる)』なる料理を食す為、
昨晩ネットで調べたお店に向かった。

料理の詳細は全く調べていない・・・。
どんな料理なのか!?

波の上ビーチから歩いて10分程の距離だったが、
少々迷って、
本来は夜に出向く大人のお店ゾーンに入ってしまった・・・

「おにいさん、どうですか?今から!」と声を無駄に掛けられながら、
目的の骨汁が食べられる 宮良そば那覇店が入っているホテルプレシアを探します💦


営業開始時間が11時。

骨汁は人気料理なので、
売り切れになったらいやだ!と考え、
なんとか営業時間ピッタリに到着!

ホテルプレシア

ホテルの2階に上がると、
ちょうどオープン時間♬

僕が最初のお客さんでした(;^_^A

宮良そば さんは蕎麦屋さんですが、
骨汁がとても人気で有名だそうです!

骨汁の食券を購入して、
ワクワクしながら骨汁を待つ。

そして遂にご対面!

見事に男心をくすぐられるヴィジュアル!!

この写真は食べかけじゃないんです。
出された料理の上部分を除いただけで、
まだ肉と骨はノータッチなのです!

出汁を取った後の豚骨の中から比較的肉が多く残っている部位をチョイスして、
野菜などと共に調味したスープで煮込んで仕上げるという料理らしい。

骨を手でつかんで、
歯でこそぎながら食べるというワイルドスタイル。

キレイにこそぎきった骨は専用のお椀にポイっと。

骨に付いた肉は柔らかく、
スープもしみ込んでいて美味い!

白ご飯が超すすむ!

あっという間にごちそうさま。

食べ終わった後の骨の量が半端ない・・・

思い出しただけで涎が出てきそうなくらい大好きになりました><

しかし、沖縄以外では滅多に食べられない料理・・・

恋しい・・・。

石敢當ってなんじゃい?

那覇の町を歩いていると、
道の至る所に「石敢當」と刻まれた石を見かけました。

歩いている時に気になって写真を撮っていたので、
骨汁を食べてゆっくりしている間にネットで調べてみました。

石敢當は いしがんとう と読むそうです。

「ヤムナン」という魔物から建物を守るために刻まれている魔除けの意味があるらしい。

Wikipediaによると、
「石敢當」の名前そのものの由来は中国の後漢代の武将や名力士の名前とされているそうですが、
はっきりとした由来は不明だそうです。

後漢といえば、
今から2000年ほど前の時代・・・・

遥かなる悠久の時を感じます。

後編へ続く

内容が長くなってしまったので、
前後編と分けることにしました<(_ _)>

後編では、
この沖縄旅最大の目的地である 松村宗棍 武士の御前に到着します!

メジャーな沖縄旅ではなく、
少々マニアックな旅ですが、
後編もお付き合いいただけると嬉しいです☺

後編はこちら

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