後編|空手の先達を巡る沖縄旅~武士松村に逢いに~

旅日記

空手の先達を巡る沖縄旅後編です!

前編はこちら

目次

いざ、首里へ!!

唐手(空手)の祖 武士松村宗棍のお墓へ

午後からはお城がある地域、
首里へ向かう。

剛の那覇手・柔の首里手

首里手を学んだ先達は、
王に仕えていた方たちが多いと聞いたことがあります。

とても美味しい骨汁を食べて体力回復!

海側から首里までは少々距離があるので、
ゆいレール(モノレール)を使う。

最寄りの 旭町駅に行き、
松村武士のお墓に比較的近い市立病院前駅で下車。

空手の祖である松村宗棍のお墓の情報は、
なぜかとても少ないです。

ネット検索で、
過去に松村そうこんのお墓に行ったことがある方達の情報をかき集めましたが、
場所が詳しく記載されている情報がありませんでした。

googlマップを航空写真に切り替え、
上空からお墓らしき場所をしらみつぶしに探し、
お墓の写真を掲載して下さっているサイトの写真に写っている建物の形や色を確認して場所を特定。

ここだ!という場所に向かった。

場所はここ★
〒902-0068 沖縄県那覇市真嘉比3丁目10

ゆいレール 市立病院駅前で降りて、
首里の坂道を上がりgoogleマップの目的地を目指して、
住宅街を歩き回ること20分程。

住宅街の一角に、
広めの墓地を発見。

偉大な空手の祖である武士松村宗棍のお墓が、
こんな住宅街の一角にあるのか!

とうい驚きもありました。

松村宗棍のお墓は、
南側道路沿いの入口すぐのところにあったので、
すぐに見つけることができました。

松村宗棍も眠る松村家のお墓
とてもキレイなお墓でした。

ようやく、
ここに来ることができました・・。

長年空手を学んできて、
幾度となく御名前をお聞きしてきた武士松村のお墓に。

お墓には墓石と共に、
武士松村を記した石碑もありました。
2000年に松村家の末裔の方々が建てられた石碑のようです。

松村家末裔の方々が建てられた石碑。
松村宗棍の生い立ちと業績が記されている。

「今、私が師匠に出逢い、空手を学ぶことができているのは松村先生のおかげです。」

と、深く一礼をして感謝の想いを伝えてきました。

歴史ある場所で、
当時の方達に想いを馳せる・・・。

僕は心が繋がったような気持ちになるこの瞬間が、
たまらなく好きなのです。

自己満足ではありますが、
人生で必ずやっておきたいことの1つを叶えることができました。

武士松村のお墓参りを終え、
雑草生い茂る通路を通る時に少し前かがみになりました。

すると、
胸ポケットに入れていたスマホがするりと落ちました。

画面側から落ちたスマホの画面は、
バッキバキに・・・・。

あー、やっちまった!と思いましたが、
すぐに分かりました。

空手は身体で覚える。

軽くではありますが、
師匠が弟子の身体に打撃を加えて、
手土産として身体に覚えさせて持って帰らせると言います。

武士松村先生が僕にお土産を持たせて下さったんだ!と。

お顔も知らない先生ですが、
笑顔で「忘れるでないぞ!」と語りかけて下さっている姿が思い浮かびました。

またお墓に一礼をしました。

唐手近代化 糸洲安恒のお墓と顕彰碑

同じ墓地に埋葬されている沖縄空手の大家 松村宗棍の弟子である糸洲安恒のお墓参りもしたいと思い、
武士松村のお墓を背にして背の高い雑草の生い茂る墓地の通路を歩きました。

良くお墓参りに来られる場所は整備されているようですが、
墓地の中心部らへんは雑草が生い茂り、
通路をふさいで通れない場所もありました・・・。

結構広い墓地なので、
なかなかお墓を見つけることができずにいましたが、
しらみつぶしに墓地を歩きまわって、なんとか見つけました。

とても大きくてきれいなお墓でした。
糸洲安恒の顕彰碑

墓地の中心部にあります。

小林流開祖 知花朝信の顕彰碑

どんどん首里の中心部へ向かいます。

小林流空手の開祖である知花朝信の顕彰碑が、
首里のとある公民館に設置されているという情報を仕入れました。

墓地から歩きます。
首里はお城、首里城がある街。

お城というだけあって、
丘の上にある。

首里の町は、坂道が多くとても疲れました。

少し考えればわかることだけれども、
沖縄は平たんな土地という思い込みがありました。

実際にその場所に行かなければわからない事ってあるんだなぁ。

と妙に自己納得しながら、
坂道を歩きました。

墓地とは違い、
山川公民館は探しやすかったです。

首里にある山川公民館
〒903-0825 沖縄県那覇市首里山川町1丁目27

小林流空手の祖 知花朝信の顕彰碑。

抜塞(パッサイ)名手だったそうです。

石碑は公民館の手前運動場?の一角に建っていました。

瑞泉拳の由来巡り 守礼門

とんでもない坂道を歩き、
首里城へ向かいました。

丘の下から首里城へ行きたい場合は、
歩いて行くことはおススメしません・・・。

タクシーやゆいレールで行くことをおススメします。

朝から歩きっぱなしで疲れた足に鞭打って、
急な坂上りを終え、
ようやく首里城へ到着!!

とはいえ、
2019年11月は、
首里城が火災で全焼し立ち入り禁止の時。

至るところに警備員が居て、
首里城へは入ることができませんでしたが、
守礼門から少し先までは入場することができました。

まずは守礼門!

守礼門に刻まれた、
礼を守る国

何とも素晴らしい心!

修学旅行生の女の子たちが居ましたが、
首里城が焼け落ちているというバッドタイミングになってしまったのでしょう。

逆にレアな時期なので、
忘れられない思い出になるのかもしれません。

松村武士が弟子たちと
瑞泉門の石畳で投げ技の稽古をしていたので、
瑞泉拳と呼ばれていたそうです。

瑞泉門の場所はここ

その瑞泉拳の稽古場をぜひ見てみたいと思っていたのですが、
復興作業中の為に歓会門の前までしか行くことができませんでした。


瑞泉門まで入ることは叶わず><

首里城が無事に復興して、
また入場することができるようになってから訪れることにしましょう。

「ああ、ここの上に首里城があるんだなぁ」と考えながら、
石畳を観察。

首里城は焼け落ちていて、
全く見ることができなかったため、
一通り見られるところをぐるりと一回り。

沖縄県立芸術大学近くの出入り口から出て、
首里城の最寄り駅である首里駅へ向かった。

飲むサロンパス ルートビア

この日は、ゆいレールの一日乗車券(800円)を購入していました。

飛行機の時間までまだ少し余裕があり、
せっかくなのでゆいレールの首里駅から乗車し、
終点のてだこ浦西駅まで行ってみました。

そして、
何もやることがないのでそのままカムバックして、
那覇空港まで(笑)


骨汁を教えてくれた友人から仕入れた謎の飲み物、
飲むサロンパス

沖縄にはたくさんあるファストフード店A&Wで飲むことができるとのこと。

那覇空港にもあったので、
帰りの飛行機待ちの間に寄ってみることにした。

2Fの端っこにあった。

一体どんな味なのかとワクワクした興奮を顔に出さないように、
何食わぬ顔で外国人の店員さんに ハンバーガーとセットで を注文。

すぐにバーガーセットを渡され、
席に着く。

早速ルートビアを一口。

ベタベタな反応で申し訳ないのですが、
「クセがすごい・・・」

飲むサロンパス とは、
言い得ての妙。

正に飲むサロンパス (笑)

さらさらとしたコーラのような見た目なのに、
味がパンチ聞きすぎてペースト状に感じるほどすごい。

サロンパスの湿布部分のプルプルを削り取って、
ミキサーに入れてなめらかにしたような感じ。

想像したら気持ち悪くなるかもしれません・・・
申し訳ない。

最初は驚いたが、
数回口に入れるとそのクセが、
癖になってくる不思議・・・

まじいなこれと思いながらも、
また飲んでしまう(;^_^A

でも、不味い(笑)
※あくまでも個人的な感想です<(_ _)>

最後は飲むサロンパスを飲んで、
ピーチ航空で那覇空港を発った。

さようなら沖縄!!

旅を終えて

沖縄の旅は思い付きの、
一泊2日の旅だった。

しかも、
那覇での活動時間は早朝から夕方17時頃の飛行機搭乗までの数時間。

短い時間の中で、
目的だった松村宗棍のお墓参りをするという夢を叶えることができた
とても満足の行く旅でした。

琉球時代から続く空手の歴史上には、
まだまだ沢山の達人・偉人が存在します。

彼らの生きた足跡をもっと感じることができる場所に行ってみたいです。

また、首里城が焼け落ちてしまっており、
瑞泉門の石畳を見ることができなかったのが悔やまれるところです。

次に沖縄に来る時には、
もっと下調べをして更に充実した旅にしたいと思います👍

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